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たそかれぞ十五
- 2008/05/29(Thu) 20:28 -
濡れた車道を走る乗用車が、半分溶けた雪を前輪で以てさらに脇へと追いやる音がする。歩道のない家の前の道を傘を差しながら、黒い服を着た親戚達が雪をなるべく踏まないように歩いていた。一階の茶の間からそれを眺めていた僕が窓の前までやってきた人達と目が合うと、まるで大人同士のように律儀に中学生である僕に頭を下げるので、思わずそれにならって慣れない仕草で会釈を返しながら玄関が開く音を予測する。しばらくすると葬儀屋が大層立派な棺を抱えてしゅくしゅくとやってきた。
故人と近しい者からと葬儀屋に金槌を渡されて、僕は母の後に続いて棺に立てられた釘に三度、力加減の分からぬまま金槌をカンと打ち下ろす。順番を待っている次の親戚へ金槌を渡すときに、一瞬だけ佐恵子伯母さんと目が合ったのだが、それを特に考えもせずに、金槌は祖母へと手渡した。後ろへ回ってから、父の妹であった佐恵子さんに渡した方がよかっただろうかと、彼女の白いうなじを眺めながら思った。ふいに眺めていた自分の視線がとても不躾である気がして慌てて逸らした。
火葬場で窯の火が消えるまでの一時間半、あくまでも身内である僕は控え室で弁当を配ったりと一通りの手伝いは済ませたが、中学生である自分に親戚同士の会話は未だ退屈をもたらして足を痺れさす。相槌しか打てない故人の息子との会話にほとんどの親戚が飽きた頃、同じように飽き飽きしていた僕は手洗いに立つふりをして外へ逃げ出した。
入り口を出てすぐの左に自動販売機がある。そこに行くと、他と比べて付き合いの深かった田島の叔父さんと、向う根の叔父さんがタバコをくわえてささやかな会話をしていた。叔父さん達は僕に気付いて財布を取り出す。
「なんが飲むか」
「いいです」
「飲めねえっづのか」
付き合いが深いだけあって僕にとっても話しやすい相手であった。遠慮なく馳走になって少しばかり会話をすると、こうして控え室に来ない親戚のフォローを結果的に行った気がして、またなんとなく自分をさも一人前であるかのような錯覚をする。
田島の叔父さんが僕に話しかけた。
「南のべっこいだんか?」
佐恵子さんのことである。南とは僕の父のことであり、その息子には北という単純な名前を付けた。
「いたよ」
「車さ戻ってったっけな。まーまんず暗い女子だ」
「控え室に弁当あるって、声かけてくる」
その行動に対して良いとも悪いとも返答はなく、僕はその場から立ち去り、入り口から数十メートル離れた場所にある駐車場へと向かう。
車の並びの中程に、見覚えのある黒のセダンを見つけて、その中にもちろん佐恵子さんは乗っていたのだが、自分が他の親戚よりも遥かに顔を合わせる回数の少なかった佐恵子さんの車種を記憶していたことに気付いてなんとなく恥じ入った。
どう表現すれば良いのだろうか、佐恵子さんは伯母という単語ではピンとこない。聡明と言うなれば真っ先に連想されるのがこの人なのだ。子供心に美しいと思う。積極的に口を開かないこの人を親戚中では暗い女だと陰口を言うけれど、僕はこの人の不躾に動かない唇と目元がはからずも美しく、妖しいと思っていた。
この人は昔から僕の中で唯一の女性なのだ。
僕が車の前で会釈をすると、佐恵子さんはすらりと車から降りて、一言終わった?と表情を変えずに言う。いえ、と、その後「まだですが中でお弁当を」と続けようとして、遮られた。
「ならいいのよ。気にしないで」
そう言って背けた彼女の顔に、僕は一人前の大人であるかのような振る舞いをして見事空回ったのだと悟り赤面をする。やめておけばよかった。人の中に入りたくないからきっとここにいたのだ。気を遣ったつもりが、煩い子供という立場を自ら演出してしまった。
僕はやめておけば良いものを、何を勘違いしたか墓穴をどうにかして埋めようと、今度はまだ何もわからない子供の振る舞いをわざと意識した。そうすれば背伸びした自分をこの人に印象付けた過ちをフォローできるかもしれないと考えたのだった。
「あの、今度、遊びにきて下さい、うちに」
横を向いたままそれでも何も反応を示してくれない爬虫類のような目を見やりながら、さらに慌てながら言葉を付け足す。
「お父さんの、話とか…聞かせて下さい」
父と呼ばなかったのはわざとだった。彼女がようやくこちらを向く。
「そうね」
あなたのおうちにはいったことがなかったわね、と、ようやく会話らしい会話になってきたのでホッとする。佐恵子さんは伏し目がちでいたので、僕は不躾にその目を見つめていた。
「だけどきっと行かないよ」
「え、ど、どうしてですか?」
「北くん、きみと会うだけなら外がいいわね」
その瞬間、爬虫類の目が僕を見返して、まるで頭の中を見透かされでもしているかのように何かが体の中を浸透した。
この人、横顔はやっぱり父に似ている。なのに似ていない。よく見れば見るほど似ていない。そもそもこんな顔だったのだろうか。一秒を置いてみるみる変化していくようだ。目の前で変わっていく。変化と同時に浸透していく。僕の体の中をみるみる浸透していく。
馳ぜる風が髪を巻き上げる度に、煙突から出る煙も大気に溶けて上がっていく。横を向いていた彼女の視線の先は何だったのか。僕が大人になる瞬間が存在するのなら、まさに今この時だった。僕は子供の振る舞いをやめなければならない。
「いつ、会えますか」
「あなたが望むならいつでも」
瞬きをした時に彼女が口元を緩めたので、きっと僕の仕草の何かが似ていたのだろうと思う。彼女が唯一の女性であったのは、僕の知る限りで唯一の女だからだったのだ。
まるで長年の無意識下の疑問が晴れたようだった。極自然に認識をした。彼女は僕の中で唯一の女であり、僕のものにはならない女であるということだった。例えばそこに大地があるように、僕にとって当然の常識のような感覚である。
「佐恵子こねってが?」
「うん」
一人で戻ってきた僕を見て、向う根の叔父さんが呆れたように煙草を吐き出したが、僕は余計なことはもちろん言わずに笑ってその場を済ます。
中に入って釜の前でぼんやり立ち尽くすと、熱気をはらんだ空気が僕を拒む。その場は悲しい、淋しい、苦しい、僅か悔しい、僅か愛しい、僅かいくばくもの想いを飲み込んで熱で溶かしてその場で蒸発させてくれるような、半径一メートルの吹き溜まりになっていた。
あの人はこの後一生僕を見るのだ。この熱気の先の残った骨に対する何もかもを僕に移行するだろう。それは憐憫さえ揺り起こす。誰にも何も言えずにきたのだから、僕も誰にも何も打ち明けずにただひたすら似た仕草で以て、彼女を喜ばせ絶望させ、或いは大人になり男になりいつかあの人が僕より早く逝くときに何かを想う人間になろう。
彼女はきっと男の子であれば、生まれる前から僕の子供を愛すのだ。僕にそうであったように。
薄くなっていく血は、僅か十五の僕の夢想では、この一メートルの吹き溜まりでは不足してしまう程に恐ろしく、また、追い越せなかった父の背丈を連鎖させながら彼女が女でなくなる決定打を見せ付ける。熱気は情と血縁をも飲み込んだ。
我に返ったとき僕はたぶん泣くのだろう。
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