スポンサーサイト
- --/--/--(--) --:-- -
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | ▲ top
ちょっとした話
- 2013/03/11(Mon) 21:51 -
震災から今日で二年ですね。震災後うちは無事でしたという簡潔な報告だけで特に地元近辺の様子を語ってこなかったんですが、実は当時の状況を一人でレポートのようにまとめたものが残っているので二年経ったしいいかなと思ったのでちょっとその時の様子でも書いてみます。

私は宮城県に住んでいるんですけど、東日本大震災で宮城にいたとなるとよく他に住んでらっしゃる方からは大変だったでしょうと言われます。正直に言います。



全然たいしたことはなかったんですコレが。



いやほんとそれもあって心配して下さった方には逆に心苦しかったところもあります。宮城で一番なんともなかったんじゃね?ってぐらい私の住んでる辺りはなんともなかったです。サイトでもメールやコメントで大丈夫ですかと心配して下さった方もいらっしゃったので大丈夫ですなんともないですとは言ったものの、もしかして大丈夫じゃないのに大丈夫って言っているように見えるかしらと思わないでもなかったんですが、本当に大丈夫だったんです。逆にこんなになんともなくて申し訳ない気持ちでいっぱいだったのが正直なところです。ほんとなんか無事過ぎてどうしたもんかと。


まぁとにかくレポートもあることだしまとめてみます。
ただ当時を思い出したくない人は見ないでください。あとおまえ超平和だったんじゃねーか!って怒りそうな人も勘弁してください。
地震のとき会社にいましたが、会社は震度7あったと思います。立地的に。まぁ6強でもいいですけど。とりあえず日付順に書いていきます。


3/11

その日の天気は晴れたり曇ったりを繰り返してました。ちょっと外に行ってパートの陽子さん(仮名)と少し仕事の段取りを話したあと、事務所に戻ってきてマネージャーと課長の戻り遅いねなんて会話してました。当時事務所は私とマネージャーしかおりません。事務所の目の前が自社ヤードになっているのでヤードには作業員も何名か残って仕事していました。
課長がちょうど戻ってきたので、課長と話しをするためにマネージャーが外に出た瞬間でした。

あ、地震か?

揺れを感じたのでふと周りを見渡して地震であることを確認しました。でも特にこれと言った対策はしなかったです。二日か三日前に震度5くらいの地震があったのでそれの余震かなと思ったんですね。
でもそのまましばらく揺れていて。あら?ちょっと強くなってきたか?と思ったので私の席の隣にあるコーヒーメーカーのコーヒーを流しに置こうと立ち上がったんです。
流しに捨てようとして、やばいと思った。

揺れが強くなってコーヒーを流しに捨てることが出来ない。置くのが精いっぱいになって何かに掴まっていないと転びそうだった。やべえこれ強い。あとなにすべき?と辺りを見渡してパソコンをなんとかしたかったけどもう室内を移動すらできない。パソコンは1メートルくらいの近さだったんですけどね。

何年か前に栗原市の大きな地震があったとき、その時は震度6弱か5強くらいだったんですけど、その時も同じここの事務所にいて地震があったときに事務所から出たんですけど、ちょっとうちの事務所って特殊な造りになっていて、あとから専務に「事務所は崩れないから中にいた方が安全だったんだぞ」と言われたことがあったのでそれを思い出してなかなか事務所から出れないでいたんです。

だってまた同じこと言われたらアホでしょ。なんで学ばねんだって話でしょ。

でもこの地震まじで強いんだけどほんとに事務所にいるべきなの?嘘だべ?さすがに今回は外出るべきだべ?とか思ってたらマネージャーが外から走ってきて私に外に出ろというジェスチャーをした。


デスヨネー。


事務所の扉を開けたらすぐにマネージャーに手を引かれて外の駐車場近くまで走った。外にはもうヤード内の作業員がみんな一ヶ所に集まっていた。今考えると私はアホかと。マネージャー元々外にいたのにわざわざ私を連れに戻ってきてくれたし。
外にはパートの陽子さんほか男性作業員が四名くらい集まっていたのでその中に加わったのです。


地鳴りがしました。ヤード内の荷物がぶつかって音を立てながら崩れて、辺りが土煙に巻かれてました。一生揺れてるんじゃないかと思うほど揺れは長かった。

女性陣が立っていられなくてへたり込んでいく中、私は隣にいた作業員に掴まってなんとか立っていました。三十メートルくらい奥に課長がいるのが見えたけどもう助けに行けなかった。誰も歩けなくて。揺れは強くなったり弱くなったりしてました。
「これ、なんぼ、震度なんぼ?5?6?」
「6はある、6強か7くらい」
「宮城県沖地震じゃないのこれ宮城県沖」
知るかと思いながら揺れが収まったころにはもう頭は真っ白。この世の終わりだと思った。

何日か前の震度5の地震のときも会社の近くに自宅のある作業員は一旦自宅の様子を見に戻っていたので、今回もみんなまずは自宅の様子を見に戻ろうということに。

自宅がなんともなければすぐに戻ってくるつもりでいたので、私は上着も空の弁当箱もロッカーに置いたまま必要最低限の荷物だけ持ってすぐに自宅に向かった。(ちなみに私が一番自宅が遠い)


滅多に聞かない車のラジオをつけて帰路に着いたけどもうすぐに道路が地割れを起こしていて通常の速度で走るのは無理でした。そこでもうすでにいやこれはもう会社には戻れないと思った。でも当時乗っていた車はパジェロだったのでパジェロならダイハードがあろうとも大丈夫家には辿り着くはずと思ってた。(こういうとき人間って余計なこと考えますね)

ラジオでは津波警報を叫んでいたけど気にしなかった。いつものことだし。というよりは地震のあとのお決まりのパターンだと思っていました。
ラジオでは栗原が震度7だと言っていて、私の自宅のある地域は6強だと言ってました。震度7はさすがに耳を疑ったが、でもあれは確かに震度7あってもおかしくはないと思いながら運転してました。

私はわりと街中を帰路としているんですが街に入る手前からもうすでに車が詰まった。信号が全滅してるんです。車に乗ってる最中何度も強い余震があって何度も運転できなくなった。そのたんびにみんな道路だろうがなんだろうがギアをパーキングに入れて落ち着くまで待った。私もさすがに怖かったので深呼吸をして何度も雑念を振り払った。

地面が隆起していて通れない道路がある。そのたんびに遠回りをする。車同士で交差点の確認をして交互にちんたら進んでいく。道路脇の民家やお店が倒壊していてそういったものを見るたんびに愕然としました。他の状況を知らないのでうちの地元の辺りがとてつもない被害を被っているように思えました。

落ち着けと何回も頭で思って最終的に一人で呟いた。どんなに混んでいても30分あれば着くはずの自宅には2時間近くかかってようやく着きました。家に着いたら母と弟の車があって心底ほっとした。
私の車が見えたのか私が降りる前に二人とも家から出てきて三人で無事を確認しあった。(うちの父は数年前に他界してるので今三人家族です)
「姉ちゃんの部屋やべえ」
「あんたの部屋が一番ひどい」
まぁそりゃそうだろう。なんせ私の部屋には六段本棚が7つです。ひどくないわけがない。でもそんなこと言ってる場合じゃない。
「水貯めた?」
「えっ、まだ」
「貯めろ早く風呂場に水貯めろ」
「でももう水茶色くて」
「なんでもいいんだよとにかく水貯めろ早く!」
「茶色くてもいいのか、わかった」
弟がシャワーで放水する音を確かめて自室を確認しに行ってなにか取り出そうと思ったが即諦めた。私の部屋はもうすでに死んでいる。時間がかかることをしている場合ではない。すぐ下に戻っておたおたしている母に声をかけた。
「毛布運ぼう。最悪避難することを想定して毛布運んどいて」
「毛布出せるけどどこに運ぶの?」
「車だよ車!ここまで津波は来ないだろうけどいつでもここから逃げれるように運んでて。あと食糧なんでもいいから食べれるもの全部」
わかったと走り出す母を見てから風呂場に行くとすでに水の音がしなかった。
「え!?もしかしてもう水止まったの!?」
「え?いや貯めたよもう」
「は?全然貯まってねえじゃん」
浴槽の蓋を開けて全く貯まっていないことを確かめると弟が「あ、そこに貯めるのか」と言うので足元を見るとでかいタッパになみなみと貯められた水が。おまえ・・・これでどうする気だったんだ・・・。

浄水器をひねってみるとまだきれいな水が出てきたので最悪飲み水はこれだなと思いながら空ペットボトルなど容器と言う容器に入れて車に運びだす。あとなぜか私グッドタイミングで数日前にネットで阪神大震災で被災された方のまとめブログとか読んだばかりだったのでそのブログに避難所で必要だったものとして書かれていたものを片っ端から鞄に詰め込んだ。状況が違うと言えども参考にして間違いなわけはない。

少し身支度をして私は自分の部屋に侵入を試みた。実は現金がいたるところに放置してあるのだ。現金は使うだろう。カードやおサイフ携帯なんてこうなれば全くクソの役にも立たない。絶対に現金だ。とりあえず10万程度はすぐに取れるところにあったのでそれを鞄に詰める。現金置いててよかった。あと実はこっそり家族にも言わずに三ケタ近い現金をどうでもよさそうな袋に入れてどうでもよさげなところに置いてたのだが、さすがにどこにあるのかわからなかったのでそっちは諦めた。10万あれば当面しのげるだろうと思ったので。そして下に戻ると母が「あんたの現金は私のカバンに入れておいたから!」と言う。エッ?
「は?え?うわ、まじだ。ちょ、どうやって取りにいったの?」
「あんたの部屋に大金があることすぐ思い出して真っ先に取りにいったんです!」
このカオスな部屋の中をか。というかそれより・・・
「なんでそれに現金が入ってること知ってたの?」
「知ってます!」
親ってこええええええ!!あんな到底現金が入ってるとは思えない袋をよく気にしたなと。怖いわ。

で、ふとそういや猫は?と思った。そしたら案の定いないとのこと。うちの猫は完全家猫なので外に出したことはないんですけど、二階のマンガ本の部屋の窓が地震の揺れで勝手に開いていたらしく、そこから逃げたかもしれないとのこと。逃げたら逃げたでしょうがない。今は探してる時間もない。

とりあえず一番大きな弟の車に全部荷物を運び出し、そのまま三人で車の中にいた。
このままなら避難することはないと思った。家は無事だし。

車の中でラジオを聞いていると地震が起きた!というようなことしか言っていなかったので状況が全くわからない。被害の大きさは?どこが一番被害大きいの?というか津波は?やっぱり何事もなかったの?さっぱり何もわからなかった。

とにかく食料がない。当面をしのげる分もない。さっきかき集めたら煎餅が何個かあっただけだった。

もはや今日の夕飯からないのでこれはまずいと思い、何か買いに行こうとそのまま車を出すことに。当然スーパーはもうやっていなかったがコンビニが一件だけ営業していてくれた。三人分の夕飯と朝飯と思ってカップラーメンを6個買った。コンビニは長蛇の列です。店内で割れたと思われる酒やジュースの瓶がコンビニの隅によけられていた。コンビニ店員さんも自宅に帰りたいだろうにと思うとほんと有り難かった。
が、前に並んでいた二人組の若者が「頭わりーなレジ二つ開けろよ」文句言っていて首を絞めてやろうかと思った。電気きてねーのにどうやって開けんだよおめーだ頭わりーのは!店員さんはハンディで会計しててくれてるんです。一生懸命。他のコンビニはもう閉めてるのに。
後ろに並んでいるおばちゃんたちが明日には電気くるでしょうね~と話していて私もいくらか楽観的になった。まったくもって甘かった。

その足で隣町のおばあちゃんちへ行きました。おばあちゃんとおじさんの二人暮らしなのでさぞ心細いだろうと。が、玄関を開けた瞬間暖かかった。え!?と仰天するとうちは反射板ストーブだからよ~と笑っていた。ファンヒーターの我が家は完敗です。地震の揺れはそこまでひどくもなく、家も無事でした。よく煎餅とかが入っているようなシルバーの缶の中にろうそくを立てていたのでなにこれ?と聞くと、こういった缶の中にろうそくを立てると缶に反射して余計明るくなるんだと言ってました。まじでこのときばかりは亀の甲より年の功だと思い知らされた。とりあえずさっき手に入れたカップラーメンを分けてきた。

そんで自宅に戻ってきてそれでも車の中でラジオを聞きながら余震を感じてはもう少し車にいるかと話しあい、地震のとき何をしていたかを三人で話し合ったんですけど、うちの弟はたまたま仕事が休みで家にいたみたいです。それで今日は思いっきりゲームやっちゃうぜ!?とか思いながら茶の間にゲームを持ち込んで茶の間のテレビでゲームをしていたそうだ。
そこでこの地震です。
最初は気にせずプレイしていたけど、だんだん強くなってきたのでまずいんじゃないか?と思って台所の食器棚を押さえに行ったらしい。しかし押さえてはいるが揺れはひどくなるばかり。もうだめだ、もう一人で食器棚押さえるのは無理だと悟って食器棚から手を放し、再びゲーム機の元へ戻ってデータをセーブし始めた。
「だってあの強さは完全に電気止まると思ったもんね。だったらまじでセーブしないとやべーからさ。俺の三時間の結晶がそこにあるわけだからさ。もう俺は背後で食器が棚から飛び出して割れていく音を聞きながらガチで焦ってたよ。セーブ長いんだよ」というのは弟談。そしてあとちょっとというところで電気が止まって画面は真っ黒に。ざまあああああ!!

ちくしょーと叫びながらとりあえず駐車場の車に乗ったはいいが、もう車もガンガン揺れて止まっていた位置から数メートル動いていたがもうどうすることもできなかったとのこと。
だめだろこいつ・・・早くなんとかしないと・・・。

この時点ではまだドコモが生きていたので私は友達に安否確認のメールを送ったが、案の定ドコモの友達からしか返信は来なかった。他県の友達から来ていたメールにも少し返信しておいた。
車の窓に雪がもさもさ積もってきて何もこんな日に雪なんて降らなくてもいいのにと心底思った。

少しは余震もおさまったかな?と思ったので家の中に戻ることにし、一階の和室が一番被害が少なく見えたので今日はここで寝ることに決めて、三人でそこの部屋を片付けて二組の布団を敷いた。電気が止まっているので外が真っ暗。でも月だけが異様に明るい。月明かりってものすごく明るいんだということを初めて知りました。

この時点では私はまだ何が起きたのかがよくわかっていなかったのです。地震が起こったときはこれはもう日本滅んだねと思ってたけど滅びはしなかったらしい。しかもうちには車以外に聞けるラジオはなかったので、家の中に入るともう完全に外の情報が入ってこない。

地震があったのはわかった。震度7まであったのもわかった。津波も本当に来たということはわかった。どの程度の被害なのかはさっぱりわからなかったけど、津波の来ない地域だからこそ地震のインパクトだけが強くて地震による被害がどれくらいなのかそれだけを気にしていたんです。

復旧にどれくらいかかるのか?前回の震度6の時は丸一日かからなかった。じゃあ今回は?一日?二日?最悪三日というところなのではないか。食料ないけど二日食べなくても死なないから恐らく大丈夫だろう。そう考えてました。

何時なのかわからないけど夜になってトイレに行った母が廊下でばったり猫と遭遇。どこに隠れていたのか猫は名前を呼ばれてもうんともすんとも返事をせず、抱き上げたときにはすっかり腰を抜かしておりました。

三人で二組の布団に入り眠りについたが余震で何度も目を覚ます。正直もういい加減にしろと思っていたところで夜中の四時半頃携帯に地震警報がきた。震源地もろくに確かめもせず三人で飛び起きて今度は母の車に避難しました。そうだこの車ワンセグあるんじゃね?と思い出し(車でテレビを見る習慣がないので情報源だという概念がなかった)テレビを見る。そしてこの時ばかりは本当に言葉を失った。


二百人から三百人の行方不明

気仙沼、女川、旧牡鹿が壊滅


どういう意味なのか、最後まで理解できなかった。

どうして行方不明が出てるの?いつも地震があってもこんなに被害が出るほど津波は来なかったのに?今回は津波が来たってこと?壊滅ってどういう意味で?壊滅ってなにが?
気仙沼とか南三陸とか旧牡鹿とか、全部全部すぐそこの地域じゃないか。それが壊滅ってどういうことなの?だってこの辺はこんなになんともないのに?
あまりにも非現実的すぎて情報が錯綜しているんだとしか思えませんでした。また布団に戻ってじわじわと自分の家近辺が相当何も無かったぐらいの部類なんだとようやくわかってきました。



3/12

ようやく眠りについた次の日の朝早くに誰かが家のチャイムを鳴らしたので布団の中で携帯を開くと六時半だった。母が玄関に向かう中、私は誰だよふざけんなと思っていたら玄関から「無事ですか!?」という声が聞こえてきた。完全に私の友達の声です。大壊天でした。母が無事だよそっちは大丈夫なの?というような会話をしていたが私は起き上がれなかった。(鬼か)七時半まで水道出るらしいという情報を伝えに来てくれたらしかった。

結局そのあと眠れなかったので起きてタバコを吸いながらこの時点でもまだドコモは生きていたので他の友達に「大壊天生きてたぞ」とメールしておいた。大壊天はドコモではないので昨日から連絡つかなかったのです。(なのに起きなかったとか)そしてこのメールを送ってからドコモも死んだ。

とりあえず会社に行くことにした。昨日会社を出る時点ではまた戻ってきますと言っていたので。空の弁当箱も少し気になってはいた。

家から近い場所にあるガソリンスタンドがなぜか営業していた。灯油を買うか迷った。昨日おばあちゃんちから反射板ストーブを一台借りてきたのだ。うちにある灯油は残りわずかだったので一旦自宅に戻ろうかと思った。でもすでに何台も並んでいたのが見えてすぐにやめた。帰ってきてからにしようと思ったのです。それが甘かった。

そして途中災害派遣のトラックやテントがびっしり並んでいる公園を見てびっくりした。早いな。どうやって来たんだ。というより、なぜここに。ここにいるということはここより沿岸には留まることができなかったということだろうか。

いろいろ考えているとうちの車のトラックとすれ違い様クラクションを鳴らされた。そのトラックが最後だったのか会社は閉まっていたので本社に戻った。それからマネージャーの自宅に向かって当分は自宅待機しててくれと言われた。そんでカセットコンロを一つ貸してくれた。

そのまま帰路について街中に入ると、異様に混雑していて面食らった。どこもかしこも渋滞。買い出しの渋滞か?いや、違う。ガソリンを給油するための渋滞だった。
本気で朝の自分の行動を悔やんだ。朝はこんなに渋滞していなかったのに。あの時買っておけばよかった。車のガソリンは家族全員週明けに満タンにしていたので困ることはなかったが、灯油はすでに困っていた。

迂回に迂回を重ねて帰宅して母にそのことを告げると灯油よりもまず食料だと言われた。手元にあったカップラーメンはもちろん当日の夕飯に食べてもうすっからかんなのだ。朝は食べてない。
ダメ元で近所のスーパーに向かったところ車が止まっている。よく見るとそのスーパーは駐車場で商品を並べて販売していた。助かった!と思いながらそこで買い物をすることにしたが、並んでいたのはスナック菓子だけだった。飲み物はない。ポテトチップスとじゃがりこしか買えなかったがこれでいくらか安心した。会計は一つ百円だった。

とりあえず飲み物も必要だったので今度はコンビニに狙いを定めて動くことにした。しばらく走っていると車が入っていくコンビニを発見してそこに入ったのです。案の定営業してました。でもほとんどもう何もなかった。飲み物だけを十本程度抱えて買う。カゴはない。飲み物も見たことない飲み物でしたけどそんなこと気にしてる場合じゃない。
会計をしているうちに店員が入場制限をした。もう店内には何もないと叫んでいた。怖くなって早足でその場から退散した。

うちから車で五分ほどの場所に私の友達の家があるんです。そこに様子を見に行こうということになって母と二人で向かったんですけど、途中で倒壊した民家が道路を塞いでいたので通れなくなり、とりあえず車をそこに置いてさっき購入した飲み物の半分を持って友達の家へ向かった。
友達の家は納屋が半壊してた。まじか!と思ってたら友達のお母さんが出てきてくれて、その半壊した納屋へ簡単に侵入し、中から白菜と大根を取ってきてくれてそのままくれた。食料!
友達も無事だった。ジュースを置いてきた。こういうとき友達の顔を見ると元気になるんだとわかった。


帰宅してからは朝ごはん兼昼ごはんにさっき買えたポテトチップスを食べた。まじでこの先はしばらくポテチ食うしかねえのかと思ったがまじで贅沢なことはいえない状況だと思った。食べれるだけありがたい。

しかしなんとその夜、友達の家からもらってきた大根と冷蔵庫に入っていたきゅうりでサラダが夕飯になったんです。あれは忘れられない。もちろん大根ときゅうりだけですけど。でも本気ですごくまともな食事だと思ったし感動した。おばあちゃんのまねをして缶の中にろうそくを立ててその大根ときゅうりを三人でうめーっつって食べました。
弟は老人介護の仕事をしているので休みはないです。一日たりとも休めなかったようです。なので弟には多めに大根を食わせてやりました。

日が暮れる前に食事の準備をして(大根切るだけだが)日が暮れると同時に夕飯です。なので食べ終わった時間はわからないけどとてつもなく早いはずでした。六時半頃じゃね。
しばらくぼーっとしていると朝も来てくれた大壊天がまた仕事帰りにそのまま寄ってくれた。(みんな仕事してるんだね)
今日入手した食料を持ってきてくれたみたい。なんと牛乳をくれた。そして大壊天はこの日から配給係になった。
「俺朝も来たの知ってた?」
「知ってた。でも起きれんかった」
「俺最初この辺やべーと思ったんだよ」
「あー思ったよ。めっちゃ家とか倒壊してるし液状化してるし道路とか隆起したり地割れで通れないし。でも全然マシだったんだねこの辺」
「ね。だいぶ幸せだよこの辺。みんな無事だもん」
「荒浜だっけ?あれ。行方不明の。あのニュース最初見たとき嘘だと思ったんだよ」
「思った。俺も絶対嘘だと思った。あと壊滅っていう単語。意味わからんと思った」

思った。いまだに思ってる。現実世界で壊滅なんて耳にするとは思わなかった。
そんでお互いおもむろにタバコを取り出す。実はお互い禁煙していたのだw
「おま、たばこw」
「いやもう我慢してんのばからしいと思ってw」
という建前を得て我々は数ヶ月ぶりのたばこを解禁した。今は変なところでストレスためるのよそうと思ったのでした。


そしてなんと続く。
スポンサーサイト
どうでもいい出来事 | CM(0) | ▲ top
<<ちょっとした話 | メイン | 今日メールくださった方へ!>>
コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する


▲ top
| メイン |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。